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新発田 佐々木 太子堂

2008.04.13 撮影 STAFF fuji

佐々木太子堂調査報告書(その1)  1999(平成11年).5.30調査
                        所在地.住所    新発田市佐々木240
                        調査建物       佐々木太子堂 拝殿
                        立ち会い人     大字佐々木区長 後藤 三次氏 他3名

                        調査実施人     建築士会北蒲原支部技術部 姫路 桂
                                     建築士会北蒲原支部技術部 高田 隆一 他2名

構造・規模   木造 平屋建て     正面 3間   側面 3間     向拝付き 1間

屋  根     入母屋造り      茅葺きの上鉄板葺き(昭和27年)

宗  派     曹洞宗    養福寺  末堂

建築年代    享保20年(1735年)  (棟札より推定)

大  工     村上  尾太久平    (棟札より推定)

縁起・変遷   「佐々木聖徳太子御縁起物語」 田中 正治氏編  昭和32.3.1発行より要約

          建仁2年(1202年)太子潟より木像の聖徳太子御本尊が発見され、しばらくは
          杉の祠にお奉りしてあった。
          それを、建暦2年(1212年)に親鸞上人が当地においでになったおり、小祠を建
          てて納められた。
          慶長15年(1610年)に御堂建立。
          時の領主5代溝口重元公より社地として現在の地を寄付され遷座した。
          その後新発田藩の家老となる窪田太郎介(4代目嘉右エ門守節)により、現在の
          太子堂を建立された。
          その年代は、今回再発見された棟札が現在の太子堂のものに間違いない物とし
          た場合、享保20年(1735年)となり、現在の遺構と良く合うと思います。
          その当時はまず拝殿が建てられ、その後本殿が建てられたとの事です。
          (明らかに本殿の方が新しく見えます)
          拝殿はその後、明治16年に屋根の総葺き替えを行った。
          拝殿と本殿の造営年代の違いに関しては、田中氏の記述に有る通り、拝殿を建
          てたときは、厨子だけ背後に設け(大善寺太子堂のように)(又は、鶴林寺太子堂
          (1112年)の様に真ん中に有ったことも考えられる)本殿を増補したおりに拝殿
          に直したものと思われる。
          本殿が建てられた時は、拝殿と、双堂(八幡造り)の様に軒を接して建てられて
          いたが屋根の谷間に雪が溜って不都合が生じ、昭和36年に本殿を移設し、現在
          のような形になったとの事です。
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