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[虫おくり]赤海の善願地区

2007.06.24 撮影 STAFF fuji

”むしむし送れ〜、佐渡までおくれ〜”
かって阿賀野川、早出川流域に「ツツガムシ」が大量発生し原因不明の風土病として住民は恐れ、又其れの原因追求の為北里柴三郎は当集落に二度尋ね研究解明した歴史 が此処の地に有る。
”虫送り”の起源は不明だが明治20年頃から続いているとの文献が有る。
当時信濃川、阿賀野川(早出川)、魚野川、沿岸の集落に発生し特に旧巣本村では半分の家で死者が出たと言う
原因は川の藪地に住む野鼠により感染したものと判明、治療法が確立する迄は人々は怯えた。戦国の昔の姫が身を投げた祟りだ!、動物の死骸を堀返し たからだ!等の噂となり結局は「ツツガむし」に罹っても軽く済む様に神仏として祀り毎年祈願する等神仏の加護に頼るしか無かった、又、虫送りで祈祷浄火に かざ旗を小袋に入れて有毒地に入る時に身に着けて行く習わしが有ったの事他に自衛手段として特定の草持ち藪を掃いながら行く、除虫草の様なもので染めた布 を着る等の工夫も、更に祈祷師の様なお婆さんも現れたりしたとの記述がある。阿賀、早出川流域の多くの集落に今でも名残りの”ツツガ虫除け地蔵尊”「虫地 蔵」が祀られてて居るが。藁をも縋る思いで有った事が伺い知れる、とても恐ろしいものであった。
その”虫送り”は集落総出で行う行事は以下の様です、
天正川橋のたもとの堤防のお堂から石の「虫地蔵」を諏訪神社に移し庚申塔の前に安置します三々五々集落の老若男女が集まる、お供え物し祈祷供養さ れるやがて浄火が燃え、「虫地蔵」が背負われ、子供等は「毒虫退散祈願」と書かれた短冊を竹を持ち行列を作り太鼓を打ち、村の道を「むし〜むし〜おくれ 〜、さどまでおくれ〜」と唱えながら歩きます、やがて橋の上で「虫地蔵」を降ろし地蔵様にお神酒をかけ、「毒虫退散祈願」の短冊は橋の上から川に流しま す。行列は違う道を通り諏訪神社に戻る、境内の浄火は消えていて此処から火渡りが行われ先人達の苦労を思い馳せる、至って素朴だがかっては各集落で盛大に 行なわれた行事だが近年は廃れて来た、其の中で唯一当時のままの形で伝承されているのが此処「善願」地区である、時代の推移と供に関心が薄れ将来貴重な民 俗行事が消えつつ有る。
近年、地域住民の苦闘の跡、奮闘した研究者達の足跡をきちんと記憶に留め後世に伝えんとの意も有りこの”虫おくり”行事には今でも県内外の「つつが虫」研究者が熱心に訪れる。
研究者の足跡としては世界的な高名な「北里柴三郎」と地元(船越)医師「林長吉」があげられる、北里先生は二夏訪れ研究し野鼠による感染で有る事を突き止め、林医師は赤髭先生とも呼ばれ貧しい人の為自ら自転車で往診、治療費は無料で有った。
今でこそ見事な耕地に成りかっての発生藪地の面影は無いが、「天災は忘れた頃に来る」の諺の如く昨今「鳥インフル」が問題に成って来た事から
先人の苦労、闘いを忘れ時と碑の建立は大切で有ろうと感じます。
(文章は五泉図書館の皆さんから沢山の文献を案内して戴き抜粋した物です、特に「五泉市民新聞」の”つつがむしの研究とそれにまつわる人々の物語”シリ−ズに感動し多いに参考にさせて戴いた事この場でお礼申し上げます)平成20年は6月22日の予定です。撮影者


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